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zoom RSS 『落語とは人間の業の肯定である』 立川談志

<<   作成日時 : 2011/12/16 21:28   >>

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画像先月亡くなった落語家の立川談志師匠。「落語とは人間の業の肯定」だと常々言ってたらしい。
弟子の立川談春が中学時代に学校行事で同級生たちと寄席に行った際に語った語録がエッセイ集 『赤メダカ』に載っている。
 『ふつうは忠臣蔵の四十七志が主人公。でも落語はね、この(四十七志以外の)逃げちゃった奴等が主人公なんだ。人間は寝ちゃいけない状況でもねむたきゃ寝る。酒を飲んじゃいけないとわかっていてもついつい飲んじゃう。
夏休みの宿題は計画的にやった方があとで楽だとわかっていてもそうはいかない。それを認めてやるのが落語だ。
 客席にいる周りの大人たちをよく見てみろ。昼間からこんなところで油を売ってるなんてロクなもんじゃねェ〜ョ。
でもな、努力して皆偉くなるんなら誰も苦労はしない。努力したけど偉くならないから寄席に来てるんだ。
『落語とは人間の業の肯定である』。よく覚えときな。嫌なことがあったら、たまには落語を聴きに来いや」

▼ 人間というものは所詮愚かで弱くて強欲でいい加減なもんだということを否定せずそのままさらけ出しているのが落語だという。確かに落語に出てくる主人公はチョット抜けていたり、チャランポランな奴が多い。
「人間の業を肯定してくれるのは落語だけだよ。一生懸命やれって言わないでしょ。一生懸命やったけどやっぱり駄目だったってね。人生って”失敗と恥ずかしさの連続”よ。だから疲れたら落語聴いてるのがいいよ」と落語は続く

▼ そして談志さんは落語に生涯をかける故、自ら「人間の業」を確認するように「人生成り行きに生きてきた。
振り返ってみると、談志さんが生きてきた戦後の日本は経済成長の一方で、「人間の業」を否定する方向へと進んで行った。
古典落語が描く人情が希薄になり、強いものだけが勝ち抜き、弱者が割を食う社会。ちょっとしたことでも「いかがなものか」と足を引っ張る世間。
古典落語に登場する八つあん、熊さん、ご隠居、与太郎といったキャラクターや長屋というコミュニテイは現代ではなかなか成立しなくなった。 

▼ 業とは「理性によって制御出来ない心の働き」のことだ。つまり「わかっちゃいるけどやめられない」ものを抱えて生きているのが人間だというのが仏教の立場。仏教の説教から生まれた落語が人間の業に根ざした演目が多いのは当然かもしれない。
その業について親鸞上人にはこんな語録が残っている 「聖人(親鸞)のつねの仰せには〈弥陀の五劫思惟の願いをよくよく案ずればひとへに親鸞一人がためなりけり。されば”それほどの業”をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ〉」 (『歎 異 抄』後序)と。一年をふり返る年の瀬。後悔と愚痴で悶々と過ごす ”それほどの業” をもった身に、弥陀の本願のかたじけなさが身にしみる暮れの日々。
 今年もお世話になりました。

故 立川談志師匠のご冥福をお祈り申し上げます。

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