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zoom RSS 「供 養」

<<   作成日時 : 2018/05/19 16:01   >>

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「供養というは法にあいて希有な心を起こすこれ真実の供養なり」 (『増一阿含経』より)

 母親の七回忌と父親の十三回忌が重なった法事のご縁があった。 施主の息子さんがしみじみおっしゃった。
「父親には心配かけたし、母親には感謝しないといけないと、この頃よく思うようになった」と。
 「ただ、よく考えてみるとそれは〈役割〉としての父親や母親に対するする気持ち。一人の男性や女性、人間として両親がどんな人生を送ってきたのかはほとんど知らない自分がいる」とも。

▼ 生まれて物心ついた時から相手はすでに父親であり母親。ずっとそうした役割が全てのように思うのが自然だ。若い頃の話を断片的に聞くことはあっても、、親に対して正面切って半生を尋ねることなど、ほとんどないのかもしれない。

▼ 日本を代表する指揮者の故・山田一雄さんは母についてのエッセイで、こんな話を紹介している。(「明治のおかあさん」『思いがけない涙』所収)

▼ 当時八十歳を過ぎた山田さんの母が嫁でもある彼の妻に父との昔のエピソードを自慢そうに話す場面が登場する。
 島根県の宍道湖の小舟の上で父からプロポーズされたこと。それまで見合い結婚だとばかり思っていたに違いない息子夫婦に向かって「私だって」というニュアンスがあったのかもしれないと。島根の松江女学校時代に英語を習っていた父の後を追って一人で上京し結婚したいきさつを山田さんが知ったのは母親が無くなった後のことだという。
 「役割の中にいる両親」しか見てこなかったと振り返った、前述の息子さんの言葉と重なった。

▼ どんな「父・母」も、かっては親から見れば「子供」という立場を生き、一人の男性・女性という生きざまを抱え、夫と妻の役割を担い、人生を歩んできたはず。
 「木を見て森を見ず」という。父親・母親という、人生の一部分の役割(木)を超えて、苦悩の人生を懸命に生き抜いてきた人間(森)として、親と出会い直す。そんな機縁にご法事が、そして「母の日・父の日」がなればと願う。    〜  称名  〜  
 ( No293号 )   


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