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zoom RSS 刻む記憶、平和こそ宝 平成最後の慰霊の日 沖縄

<<   作成日時 : 2018/06/23 18:08   >>

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 20万人以上の戦没者を悼む「慰霊の日」を迎えた23日、沖縄県糸満市摩文仁の平和祈念公園には早朝から遺族が訪れ、鎮魂の祈りをささげた。沖縄戦終結から73年たった今も、愛する人を失った悲しみは消えない。「戦争はなくなって」。遺族らは平成最後の慰霊の日に、青い海と空に改めて平和への歩みを誓った。

摩文仁の丘は朝からよく晴れ、じりじりと日が照りつけた。遺族は「平和の礎(いしじ)」に刻銘された戦没者名をなぞり、戦火に巻き込まれた家族の冥福を祈った。

 「暑かったね。会いに来たよ」。糸満市の無職、渡口百合子さん(83)は石碑に水をかけ、父方のいとこ、桃原義男さんに手を合わせた。避難先の渡名喜村に渡口さんを連れていき、沖縄本島に戻ったまま帰ってこなかった。

 渡口さんは慰霊の日にはいつも、同村のガマに身を隠していた時のことを思い出す。爆撃の轟音(ごうおん)が響く中、声が出ないよう必死に口を押さえた。今思い出しても恐怖で胸がいっぱいになる。「戦争は起こらないでほしい。もうあんな思いをする人がいてはいけない」と話した。

 八重瀬町の新垣万助さん(81)は米軍収容所で当時3歳の弟を亡くした。毎年、お菓子や水を供える。「生き残った人間ができるのはこれしかない」。米軍が町を闊歩(かっぽ)する風景をよく思い出すといい「戦争では物事は解決しない」と力を込めた。

 「お母さん生んでくれてありがとう。でも顔を見てお礼が言いたかった」。うるま市の無職、古謝カズ子さん(73)は涙ぐんだ。古謝さんの母は食料調達もままならないなかで古謝さんを産み、栄養失調で4カ月後に亡くなった。周りからは古謝さんを抱えて必死に避難したと聞いているが、何も覚えていない。「私のように親の顔を知らない子供が減ってほしい」と祈りをささげた。

 戦争で祖父を亡くしたうるま市の大学教授、上江洲薫さん(49)は「戦争の残酷さを理解してもらいたい」と、3人の子供を連れて毎年訪れる。次男で小学5年の京志君(11)は礎の前で「戦争で亡くなった人を思いました。戦争が起きないようにしていきたい」と語った。

<日経BP>より

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