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zoom RSS サッカーW杯熱 享楽?

<<   作成日時 : 2018/07/07 16:27   >>

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日本人はこんなにサッカーが好きだったのか。試合があった翌日は新聞は一面で、テレビにいたってはどのチャンネルもサッカー解説だらけ・・・。

日本が決勝トーナメントに進出したことでW杯熱もヒートアップ。老若男女を問わず、日本列島全体がこれだけ興奮するとは大きな驚きであった。W杯期間中に世界で延べ四百四十億人がテレビ観戦するという主催者の話もうなずける。。何がこんなに人々を熱狂させるのか

▼ ある雑誌に精神科医の面白い分析が載っていた。サッカーは享楽の度合いが強いスポーツなのだという。精神分析用語にいう「享楽」とは人間のなしうる行為の中で最もエネルギー放出の高い瞬間をいう。

ものすごい苦痛と快楽は表裏一体にある。なかなか点が入らず今か今かといらいらして待つのが苦痛に相当する。やっと入った瞬間、、それまでの苦痛と快楽との落差が大きいと興奮の度合いも激しいという。

 セネガル戦では先制されて追いつき、追加点を奪われても同点となった場面は、視聴者が大きな苦痛から解き放たれた瞬間になったに違いない。まさに日本中が、、快楽、いや享楽を味わったのだ。

だが、享楽体験も持続するものではない。日本代表の敗戦とともに、、否応なくいつもの日常へと戻らねばならない。まるで何事もなかったかのような日々が始まるのである。

▼ ふと思った。宗教体験に似ているところがあるなと。いうまでもなく、宗教的経験というものは決して異常な精神的な錯乱状態といったものでもなく、迷ったり絶望したりしている人間を新たによみがえらせ、本当に「生きている」という自覚を与え、自分の人生はこのことのためにあるのだと確信させるような道へ導くものである。

宗教的体験が享楽体験と似ているのは、今までの価値観と新たに獲得した宗教的な価値観の大きな落差によって感動や喜びを得る点だ。

 しかし、決底的に違う点がある。「その(宗教的)感激がどれほど衰えることがあろうとも、あくまでも宗教的感情を人格的エネルギーの中心」(哲学者・石田慶和師)にする態度が残るところだ。

自分の生き方、ものの見方や受け取り方、様々な態度の取り方において、その中心のところに宗教的な考え方や感覚(感情)が確固とした位置をしめるようになる。

「一度ほんとうだと感じたことは消えない きっと自分のうちのどこかで 生きている 見えないところで 自分を生かしている(詩人・宮崎丈二)」ような体験ともいえるかもしれない

▼ 「念仏申す」ことは、その場限りの、忘我の体験でも享楽の体験でもない。時所を問わずに「ほんとう」に触れることのできる体験であろう。W杯の熱が冷めるころ、しみじみとお念仏を。  〜称名〜   No.295


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