「多数派」「少数派」

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 見えない新型コロナウィリスによって逆に見えてくる世界がある。『五体不満足』の著者で知られる作家の乙武洋匡氏。
先天性四肢欠損(生まれつき両腕と両脚がない)という障害を持つ彼が、ブログにこんなお願いをアップした。

▼ 「度重なる外出自粛要請がだされ皆さんもかなりのストレスを感じていらっしゃるのではないでしょうか。自由に仕事ができないって、自由に学校に通えないって、しんどいですよね。でも知ってほしいんです。この世の中にはコロナが蔓延する前からそうした生活を強いられてきた人々がいます。たとえば、仕事。私のような車椅子ユーザーにとって、白杖を使用する視覚障碍者にとって、毎朝満員電車に揺られて会社へ通勤すると言うのは至難の技です。それが必須とされる限り、どんなに会社で働きたくても彼らは労働市場からは排除されてしまいます。

<もしリモートワークが普及して<れたらわたしたちだってはたらけるのに・・・> それが当事者たちの願いでした。しかし普及は一向に進みませんでした。挙げ始めたらキリがないんです。社会は<多数派>のために作られているので、いくら<少数派>が苦しんでいても、排除されていても<多数派>は知らん顔なんです。だからちっとも変わらない。それが一気に変わり始めました。多くの企業ではリモートワークが推進され、ミーティングもどんどんオンラインに切り替わっています。
 休校が長引きそうだなとなったいまオンライン教育の必要性が声高に叫ばれ始め、先進的な自治体では早くも導入の兆しが見えています。”あんなに進まなかったのにね”。
望んでいたことが普及し始めたのだから素直に喜べばいいのに、どうしても皮肉を挟みたくなります。あれだけ熱望したのに、あれだけ声を上げていたのに、ちっとも耳を傾けてもらえなかった。ところが、いざ<自分たち>が同じような困難に直面したらこれだけスピーデイに、これだけダイナミックに世の中は変わっていくんだなって。やっぱりちょっと悔しいんですよ。やっぱり、この社会は「多数派」のためにできているんだな、って。
 
ここからが ”私からのお願い”です。いまはみなさんもそれぞれ大変な状況にあり、なかなか他者への配慮や思いやりを持ちにくい時期かもしれません。それは当然のことだと思います。しかし、いつかは長いトンネルを抜けて、このコロナ禍も収束し、やがて皆さんも ”日常”へと戻っていくでしょう。でも、そんなみなさんの”日常”に戻れない人々がいることを忘れずにいてほしいのです。

 コロナが消え失せても、満員電車には乗れない人々がいるのです。学校へ通えない人々がいるのです。もっと選択肢を増やしてほしい。
それが私の願いです。会社に通うという働き方もあれば、リモートワークという働き方もあっていい。教室で授業を受けるという学び方もあっていい。そんな選択肢にあふれた世の中になってくれたらなあと思っています」

▼ 仏典に「濁世」とある。今は濁った世であると。澄んだ水たまりにサカナが泳いでいる。そこに一滴の墨汁を落とせば忽ち真っ黒に濁ってサカナたちは見えなくなる。コロナ禍で生まれる偏見に苦しむひとがいることが見えない。「見えなくなる」。濁世とはそういう様態を指すのかもしれない。

 「往生極楽の教行濁世末代の目足なり」。親鸞さまが尊敬された源信さまの御言葉。浄土往生の教法は濁世に生きる私の目と足になってくださるとの仰せ。さて、コロナ禍の中、私の眼は何を見ているのか?どこの向かって足を動かしているのか?
 私が抱える目と足の危うさを照らしだし軌道修正へと教え導く御方を阿弥陀さまといただく

~称名~ 『虫眼鏡通信』No.319

共に生きる「一人ひとりがみんなのために」から 「みんなが一人のために」へ
なぜなら つらいのはいつも少数の「弱者」と呼ばれる人なのだから
                                          (正圓寺 高石彰也師)


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